毒薬注意(仮)

毒にも薬にもなれない

突然「生理的に無理」になった話

異性の友達のことが突然「生理的に無理」になってしまった。

明確な理由はパッと思い浮かばないのだけど、二人に共通していることはとても長い期間付き合い続けてきた友人ということだ。

一人の友人は親友と呼べるほど仲が良かった。

そろそろ友達十年記念だから「十年になったら何かしたいね」と話していたくらいだ。

でも、同時に「君に会ったら多分身体を求めちゃう」とかそういうことを冗談抜きで言うような人だった。もちろん、長い付き合いだし身体の関係になったこと自体はある。

ただ、彼のそういう言葉が最近は受け付けなくなってしまった。

私が仕事や趣味で忙しくしていたら、彼は別の女の子を見つけて話し相手にしていたらしい。あー、結局私は代替可能な存在なんだな。ただの都合よい女なんだなと思い知ってしまって。ますます気持ちが悪くなってしまった。

数か月前からぱたりと性欲がなくなってしまったのも原因の一つかもしれない。

そこそこあった性欲がなくなった理由は、前の彼氏と別れてからなんだけど、それから男性に対して嫌悪感が湧くようになった。

性欲が強かったし承認欲求があったから関わっていただけで、それがなくなったら気が合う人と以外は関わる必要がない。こちらのメリットがないと思うようになった。

それと、「結局セックスしたいから付き合ってるんだな」とか思うようになった。

それは普通の女としたら当たり前に思う感情なんだろうけど、私はこれまで抱いたことがなかった。

「なんだかんだ一番好きだよ」とか「一番の友達だよ」って言葉を真に受けていたし、本当だと思っていた。

でもそれは本当の言葉ではなくて、近づきたいとかセックスしたいから言ってるだけで。

それが気持ち悪い。

言葉の端々に透けて見える性欲が気持ち悪い。

周りの友達に非モテが多かったから、その辺がへたくそなのかもしれないけど。

普通の女の子が普通に気持ち悪がることを最近人並みに気持ち悪いと思えるようになったのかもしれないなって思う。

それが良いことなのか、悪いことなのかはわからないけど。

でも、とりあえず、生理的に無理な人とは付き合い続けることができないから、距離を置くしかないんだろうなって思っています。

長い付き合いだし、とても悪いなと思うけど。

彼らは私がいなくなったとしても、それっぽい都合の良い女の子を見つけて感情のゴミ箱にするんだろう。何度も同じことを繰り返すのだろうな。

人の感情が分からないことと、接客と、コミュニケーションについて

私は人の感情が分からない人らしい。

最近でいう発達障害的なものなのかもしれないけど、診断していないのでわからない。ただ、その傾向はあるよね、と障害の概念を知っている人たちによく指摘をされる。

そんな人の感情がわからない自分だけど、猫をかぶって繕うことは比較的得意なほうなんじゃないかと自負していて、そのせいで接客業とかいう全く適性のない仕事を転々としていた。まあ、人と関わることが苦手だから、短時間でへたってしまうのだけど。

だから、コミュニケーションが苦手な人よりかはコミュ力とやらがあるほうだと思う。

会話も基本的にはテンプレで「a」という会話をしていて、こんな顔をしているから次はできるだけ肯定をしながら「B」という会話をしよう。みたいな具合で、アレコレと考えながら会話をしている。

そのせいで「顔色をうかがいすぎている」とか「無難な話しかできない」などと言われがちだ。もちろんこのテンプレを崩すこともできるから、友達用に面白く会話をすることも可能だ。わざと天然な発言をしてみたり、わざと笑わせたり。もちろん、相手は気づいていないから「面白い子だ」「いつも変なことを言うよね」と評価される。まあ、面白みがないよりかは良いだろう。

一番困るのはテンプレ外の反応をする人だ。

普通の人間なら「a」の反応をするのに「C」の反応をする人がいたりする。そのときにどうすればよいか非常に困る。だから、自覚のない発達障害寄りの人間ととても相性が悪いのだ。彼らは感情で話すことが多い。

adhd当事者に怒られてしまいそうなのだが、一応周りのサンプル数人を見て感じた傾向である。私に対して「理屈で物をいうな!!」や「ごちゃごちゃうるさいんだよ。お前には感情がないのか」などと怒鳴りつけてくる男性の中には、幼少期に診断を受けた人や本人も未診断でもその傾向があると自覚していたり指摘されたことがある人が多かった。あくまで傾向なのだが、そのせいで似たような人間に出会うと身構えてしまうのだ)

接客業は意外とそれっぽい人が多い。これは偏見になってしまって申し訳ないのだが、多弁で人にずばずば物を言って相手を落ち込ませるような気の強い人が本当に多いのだ。いつも落ち着きがないタイプ。実際ただの健常者なのかもしれないが、なんとなくそのケを感じるのだ。

それでいて厄介なのが、そう言う人間に限って上司だったりするところ。

自分は派遣されたり非正規で入ることが多いので、このような上司に当たるとその場で帰宅したくなる。まず逆らえないし。

彼らは非常にあいまいにものをいう。

「何か君暗いよ」

とか。何か君暗いよ。と言われても、私とすればどこを見てどうして暗いと感じたのかが気になるところである。もしも改善できるなら直したいし。そもそも、私は人に明るいと評価されるほうだ。なら、彼は他の人とは違うところを見て、暗いと評価したのだろう。だとしたら、どこなのだろうか、と疑問に思うのは当然じゃないだろうか。

「具体的にどこが暗く思えましたか?」

「理屈っぽすぎるよ? そんなの口で言えるわけないじゃん」

ひょっとして彼が嫌味で言っているのだろうか、と可能性を考えるが、一応私のことを考えて言っているらしい。とはいえ、口で指摘できないところを言われても、どうしろというのだ。文章のように見直して直せるものじゃないだろう。自分が接客している姿を鏡で見るわけにもいかないし(仮に見たところで、鏡を意識しすぎて本来の姿にならない気がするし)。

このようなことを今の職場で言われることが多くて、非常につらい。

私は人のことをカテゴライズして接客対応をしている。人の感情がわからないからだ。

普通の人間はこうであるはずだ、という偏見からしかコミュニケーションを取れないのだ。これはもう仕方ないことだと思っているし、どれだけ考えても理解できないんだから、できるだけ寄り添うように努力するしかない。

「接客は理屈じゃないんだよ。感情に訴えかけなきゃ」

「それって偏見だよね? 一人一人コミュニケーション取らなきゃわからないよね」

わからないんです。私には人がわからないんです。

理屈でしか感情を理解できないんです。見知らぬ誰かのことなんて何一つわからないんです。

これまである程度自信を持てていたはずなのに、人の前に立つのが怖くなる。私がこれまでコツコツと積み上げて自信をつけてきたものを、一瞬で崩しやがって、どうしてくれるんだ。

多分この人も、人のことなんてわかっちゃいないんだ。だから私にこうやって酷いことを言えるのだ。わかったつもりになっているだけなんだ。

それとも彼にとって私は人間じゃないのだろうか。

これまでそこそこ社会に順応できていたつもりだったのに、やっぱり自分は歪な生き物で人に虐げられなきゃいけないのだろうか、と思うと死にたくなってくる。

これだけ努力しても、これだけコミュニケーションを取れるようになっても、やっぱり私はダメなのか。

人の感情がわからないから。人に好かれないから。「暗い」から。笑っているのに笑っているように見えないから。

人と話すのがしんどい。

あと数回。がんばろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日々を惰性で生きることについて

もういつぶりの更新になるでしょう。こんばんは、沙耶といいます。

きっと誰も見ていないだろうブログを更新する理由は、きっと私は寂しかったからなんだと思います。

それくらい、日々何かに追い詰められています。

将来の不安だとか、今月末のカードの支払とか、恋人や友達がいない孤独だとか、上司のパワハラだとか。

嫌なことはどっと訪れるのが憎たらしいですね。

さて、今日からできるだけ毎日ブログを更新したいと思います。

最近は、何かを続けることを放棄していたので、たまには毎日何かを続けてみるのもいいじゃないかと、考えたわけです。

趣味での飲み歩きの感想などをメモしたかったので、ちょうど良いかなと。

というわけで、誰か見ているかわかりませんが、誰かさん、よろしくお願いします。

 

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最近節約のために宅飲みをするようになりました。

そのおかげ?で自炊も捗っています。

おつまみも買いあさるようになり、あれこれと試行錯誤しております。

最近はまっているのが、セブンイレブンの焼き鯖明太子と広島名物ホルモンとり皮揚げというおつまみです。

この二つのおつまみを交互に食べております。とても美味しい…。

焼き鯖明太子は面倒なときのおかずにもなるのでとてもおすすめです。

飲みに行くことを考えるとおつまみを買うほうが安上がりなので、当面はこれで節約していくつもりです。

外食も食の幅が広がって良いんですがねえ…。

 

 

 

ここは退屈だけど

 ここ最近、嫌なことばかりが起こる。

 良いことと言えば、浅草寺のおみくじで小吉を引いたことくらいだろうか。それくらい、最近は良いことがない。

 スマホを落として壊すわ、デレステの10連無料時にSSRが出ないわ、好きな男に音信不通にされるわ、バイト先で仲の良い女の子が立て続けにやめていくわ、どうでもいい男に「おっぱい見せて」とセクハラされるわ、親友がセフレになるわで、最悪だ。

 最後の二つは完全に私の問題な気がするけれど、とにかく最悪なのだ。しかも今は胃が痛いし、明日予定があるというのに眠れやしない。

 さっきバイトをやめると言った女の子が言った台詞が

「彼氏に相談したらやめろと言われた」だった。

 心底羨ましい。羨ましすぎて殺意すら湧きそうだ。

 私も「そんな仕事やめてしまいなよ」と大事な人にちゃんと言われたい。大事じゃなくて、人生に干渉しなさそうな異性ならいくらでも言ってくれるけど、そんなの欲しくない。

 けれど、いざ「そんな仕事やめてしまいなよ」と彼氏(仮)に言われたとして、素直になれる自信はない。きっと「仕事やめたら次の仕事どうしたらいいの」「今の仕事はやりがいがあるんだ」と反発するだろう。酷い職場環境なのにやめない理由として、この二つは非常に大きい。ブラック経営者に搾取される労働者になりつつある。いや、既になっている。

 私が言われたい言葉は「そんな仕事やめて俺と結婚しようよ」とか「そんなに頑張りすぎなくていいんだよ」とか「お金の心配しなくてもいいよ」といった甘やかしの言葉なのだと思う。将来についてとか、お金のことだとか、自分のことを特別に思ってくれる異性がほしいだとか、そんなことを考えたくない。

 ここが退屈だから、誰か迎えに来てほしいってアレ。

 とはいえど、迎えに来てくれる相手なんていやしないし、甘やかしの言葉を与えてくれる誰かもいない。私を甘やかしてくれる相手なんて、せいぜい既婚者だとか、40近くの独身のオッサン、彼女がいるけど遊びたい男くらいなもので、ちゃんとした相手は皆無だもの。

 ちゃんとした相手にちゃんと大事にされたい。

 そうはいっても、私自身ちゃんとしてはいない。ちゃんとした23歳ならちゃんとした彼氏の一人くらい作れてるはずだし。そこは50歩くらい譲ってちょっと捻くれてる男くらいでいい。ちょっと捻くれても私のことを想ってくれて、大事にしてくれて、「水商売なんてやめてしまいなよ」と将来を見据えて言ってくれる相手がいい。

 付き合っているわけでもなく、付き合う気すらあるのかわからないけど好きな男に「水商売なんてやめてしまいなよ」と言われたことはあるけど、あれはノーカンだ。付き合ってない男に言われる筋合いはない。

 この、無駄に高いプライドのせいで幸せを逃しているような気がしないでもない。付き合っていなくても男のいうことをハイハイと聞くような女のほうが、きっと扱いやすいだろうし、愛されるのだろう。けれど、物心のついた頃からプライドが高い人間として生きてきた私としては、プライドを捨てなければ健全に(これは一般的にというより精神的に)付き合えない相手との関係に価値を見いだせない。昔は見いだせていたけれど、あんな付き合い真っ平御免だ。

 捻くれた性格の私は、きっとここは退屈だから迎えに来て、と言って迎えに来られても「何もかも投げ出してついていく価値があるのか」「計画は立てているのか」などと問い詰めてしまうんじゃないか。

 退屈なここで生きていかなきゃならないんだろうな。

 いや、この生活が退屈なはずがない。

 毎日浴びるほど酒を飲んで、毎日男に囲まれて、ネオンの中で生きている。非日常の中で生きているんだから、退屈なはずがない。なのに、退屈なのだ。つまらないのだ。満たされない。誰にも必要とされている気がしない。

「可愛いよ」「面白いよ」「一緒にいて楽しい」といくら言われても満たされない。だって、そんなの嘘でしょ。何も考えてないんでしょ。わかってるんだから。

 たった一人の、自分だけを見てくれる相手に言われたい。言われたなら、退屈でも満たされる気がする。生きていける気がする。

 退屈が嫌なわけじゃない。むしろ退屈を誰かと共有したいのだ。つまらない時間を一緒に楽しみたい。楽しめるなら、こんな非日常なんてとっとと捨ててしまえるのに。今、非日常の中で生きる自分を捨ててしまったら、何も残らない気がして恐ろしい。キラキラ輝いていて、明るくて、「天才」と評される自分なんて日常の中にはいやしない。日常の中にいる自分は、ネガティブでいつも泣いてばかりの臆病な女しかいないんだから。

 バイトをやめるって言ったあの子が羨ましい。あの子はこの仕事を心底好きでいて、やりがいを感じていて、これまでの彼氏にやめろと言われても聞かなかったのに、やめると言ったんだから。

 あの子にとって今の彼氏は日常を過ごしたいと思えた相手なのだろう。

 私にもそんな相手が現れるのだろうか。そう思ってくれる相手が現れるのだろうか。

 とりあえず、明日はソフトバンクに行かなきゃいけない。PCを消してさっさと寝てしまおう。

 

 

低用量ピルをもらいに産婦人科へ行った話

 自分でもドキドキハラハラだったので、ブログで報告日記を書こうと思います。

 いやね、いくら諸外国では薬局で売られているほどだといってもですよ、やっぱり低用量ピルを服用すると言うと「避妊具として使うの?」とか「ヤリマンかよ~」って反応が返ってくるみたいですし。実際避妊の為に使う人も多いみたいです。

 私は月経前の眠気やニキビが酷かったので、これまでチェストツリーというハーブサプリを服用していました。ハーブというだけで拒否反応示す方もいらっしゃるようですが、チェストツリーは月経前症候群のエビデンスがあります。自分もかなり改善されました(最近CMでよく見かけるPMS治療薬プレフェミンにも含まれています)。

 しかし所詮ハーブなのか、自分の症状が酷いだけなのか、生理前ニキビや皮脂の多さ、生理前の眠気や倦怠感、熱っぽさや腰痛は残りました。

 やはりピルに手を出すしかないのか……と決意したのが今月の半ばの話です。

 どうしてこれまでピルを服用しなかったのか? 理由は以下になります

・値段が高い(1シート2000~3000円が相場です。一年で考えるとなかなかの金額です)

・処方前の検査が高そう(一応リスクのある方だと検査をすることもあるようです。血液検査等ですね)

・ピルに理解のない医者だったらこわい

・先延ばし癖

 です。最後は自分の問題ですが、よくある躊躇する理由としては副作用の心配などあるようですね。

 前もって値段が安めの病院やピルに理解があるか否を調べて実績のある医者を選びました。

ピル処方施設検索 - Dr.北村のJFPAクリニック

 こんなサイトもあります。

 あと病院の口コミ等も参考にすると良いです。

 ピルの処方の方法は病院によってまちまちみたいですから、長期の服用を考えているなら特に大事です。受付で処方可能の病院や毎回検査が必要な病院などあるようですよ。

 自分が病院を決めた決定打は値段と受付で処方可能だという二点です。いちいち初診料を払うのは大変ですから……。1シート一か月ですから病院によっては初診扱いになる可能性も考えられますからねえ。

 前置きはこれくらいにして本題です。

 今日の午前、つまり月曜の午前に出向きました。その病院はネットで待ち時間がわかるので、待ち時間30分を切った頃くらいに入りました。月曜の朝はやっぱり待ちます。

 初診のお約束である年齢や名前、住所や副作用の経験の有無などを記入する問診チェックシートを渡され素直に「低用量ピル処方のため」と記入し、別の用紙を受け取りました。

 oc問診チェックシートという用紙です。

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「これネットで見たやつだ!」となりましたw

 ピル処方ができない患者もいるみたいですから、もし服用を考えている方はこのチェックシートを前もって確認しておけば安心ですね。

 ほぼ全て「いいえ」で返すと、二十分もかからないうちに名前を呼ばれました。

 体重と血圧を測り、異常なしだったのか早々に看護師さんがピルを持ってきてくれました。

「避妊目的ですか?」

 と聞かれたのでおどおどしながら

「いえ、生理前の眠気やニキビがひどいので」と答えると「あ、月経前症候群ね」と言われてほっとしました。月経前症候群に理解のないお医者さんも結構いると聞いていたので少し不安だったのです。

「このピルじゃないんだけど、国内でもピルで死亡例が出ているんです。このピルでも一切ないとは言い切れません。便利な薬ですが、副作用もありますし、何かあっても自己責任になりますが、それでもいいですか?」

 すべてをきっちりと覚えているわけじゃないですが、こんなことを言われました。

 そのリスクは重々承知でしたから頷きました。すると看護師さんが笑顔で服用方法などについて説明してくれました。不安だったことなども少し質問をし、あっさりと終了。

 会計では3300円ほどで、病院を出て現在に至ります。

 あ、あれ? 全然大したことなかったな? というのが正直な感想です。

 

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 もらったもの一式です。写真汚いですがすみません><

 ファボワールという名前は聞きなれないかもしれませんがマーベロンジェネリックです。マーベロンは結構メジャーですよね。

 蝶々の絵がついた白いものはピルを持ち歩く際に使うカバー?です。こんなものがついてくるんだとちょっとびっくり。

 低用量ピル服用は生理日からなので服用時期はまだ先なのですがね。

 問題は副作用なんですけれど……比較的副作用が少ないとはいえ薬ですからね、やっぱり少し怖くはあります。

 あとピルを飲む場合はチェストツリー服用を中止する必要があるらしいので、残ったチェストツリーをどうするか悩み中ですね。ちゃんと考えて購入するんだったなあ…。

 

 

 

 

現実逃避と季節の変わり目

 久しぶりにブログを書こうと思ったもののテーマが思いつかない程度には何も書くことがない日記です。

「最近調子どう?」というきまり文句に「特に」とつまらない返事をする程度には新しいことがありません。いや、ないことはないのだろうか。最近は一人カラオケにハマって毎週通っているし、今月末締め切りの小説を今必死になって推敲しているところだ。

 これらはあまり人に報告するような事柄に思えない。そうだよな、推敲してるよ、とかヒトカラ行ってるよなんて言われたって困るだけだろう。

 こういうとき求められている返事は例えば「彼氏とケンカしちゃってさあ」とか「今度〇〇に旅行行くの」「バイトやめるんだ」なんかじゃないか。

 ……そう考えていると自分はここ数か月ほとんどリアルの生身の人間と関わっていないのだなと思い知る。

 ここ最近は秋だからか季節の変わり目だからか、いつもは感じない「さみしさ」をいつも以上に感じてしまっている。だから心身共に少ししんどい。数か月前、五月頃にも今のようになった覚えがある。気温が安定してからおそろしいほどぱったりとネガティヴな感情もおさまってしまったけれど。

 まあ、そのさみしさだってあと数週間すれば収まることだろう。それまでの辛抱だ。

 

 以下見苦しい愚痴

 ここ最近、私の周囲の人間が遠くの手の届かない人間になっている気がしてたまらない。みんな少しずつ変わっているのだ、良い方向に向かっているなら喜ばしいことじゃないか。でも自分はあまり手放しに喜べない。みんなのツイートも少なくなっているし、話すことも減っている(そもそも、私が遠慮して声をかけなくなったせいだが)。誰かの迷惑になっていないだろうか、私なんかで本当に良いのだろうか。そんなくだらない感情ばかりが先だってチャットすら送ることが出来ない。

 まるで恋をする乙女のようだが、元々自分はこういう性格だ。人を誘うことができない。友達の友達にジェラシーを感じてしまう。成功している人間に嫉妬する。最低の人間だ。自分が落ちぶれたのは自分の努力不足のせいだということは自覚しているけれど、がんばる気力も起きない。だから同時に新しい誰かと交流したい気持ちもない。いっぱいいっぱいだからだ。

 内向的な人間だから小説を書いていると落ち着くのだろうし、今のように推敲ばかりしている時期は将来や周りや自分のことを考えて落ち込む。

 ツイッターやこういう場で思う存分書いているように見えるらしいが、結構書くことは制限しているし、言いたいこともあまり言えない。人が見ているという意識があると自制してしまうのだ。当然だ。だから、小説を書くことが好きなのだろうと思う。フィクションという盾があれば好き放題書くことができるからだ。自分の抑えている感情や、誰にも言えない秘密だって登場人物に語らせることが出来る。自分はそういう小説があまり好きではないが、読者に悟られなければいい。第一、私はプロでもなんでもないので好き放題書いても誰も何も言うことはない。

 自分のことを最低だとか生きる価値がないということは周りの人間を貶していることと同じだと誰かは言っていた。私はあまりそういうことを考えたことがなかった。きっと優しい人だからそんなことを思うのだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全部風邪のせい

 風邪っぽく体がだるいので今日は四時間くらいインターネットをしていた。かつて毎日見ていた2chまとめを巡回したりツイッターはてなブックマークを何度も更新し続けた。本を読んでも目が滑るし、頭が動かないので小説も書けない。市販の風邪薬を飲んでしのいでいる状態だ。

 私は社会的弱者である。正直、現在のインターネットは眩しすぎるのだ。リアルでは関われない勝ち組の連中が蔓延っていて心が荒む。私は選択肢を間違えてしまっただけなのかもしれない、と今更どうしようもないことを考えてしまうし、属性が近い人が成功したり友達が多い様を目の当たりにしてしまうと、気分が憂鬱になってしまう。

 いつも見ないような発言小町を見て、自分がいかに浮世離れしているかを思い知る。

 知ったところでどうにもできない。ネットインテリがよく言葉にする「関係資本」を持ち合わせていないし、文化資本なんて言葉が通用しない世界で生きている。よく出会いがないと言う人に対して「そんなわけがあるはずがない」と反論する人がいるが、それは彼らの世界での話である。高等教育を当たり前に受け、文化資本による恩恵をさも自らの努力によるものだと信じ込んでいる人たちは人間関係を構築する機会がいくらでもあるだろう。ひょっとすると私のようなマイノリティは例外なのかもしれない。

 何を書こうとしたのかも忘れてしまった。頭がごちゃごちゃしていて、まとまらない。

 とにかく、インターネットを閲覧してると心が荒むという話だ。自らがマイノリティで社会的弱者なのだとひしひしと思い知らされて、明日が来ることに恐怖する。

 読書や小説を書くことに熱中しているから現実に引き戻された時の落差に愕然とする。結局娯楽は逃避なのだなあと、いつかは私の問題も解決しなければならないのだと思う。

 

 

 この間太宰治賞に応募しました。今月末はR18文学賞の一次選考発表があります、正直あれは個人的に微妙なので一次通らないでしょうね。最近はよく書けていて、3月のすばる新人賞にも余裕をもって応募できそうです。

 余裕があれば文藝賞にも応募したいけどきついかな…。

 あーもう寝なきゃ、おやすみなさい( º﹃º` )