毒薬注意(仮)

毒にも薬にもなれない

現実逃避と季節の変わり目

 久しぶりにブログを書こうと思ったもののテーマが思いつかない程度には何も書くことがない日記です。

「最近調子どう?」というきまり文句に「特に」とつまらない返事をする程度には新しいことがありません。いや、ないことはないのだろうか。最近は一人カラオケにハマって毎週通っているし、今月末締め切りの小説を今必死になって推敲しているところだ。

 これらはあまり人に報告するような事柄に思えない。そうだよな、推敲してるよ、とかヒトカラ行ってるよなんて言われたって困るだけだろう。

 こういうとき求められている返事は例えば「彼氏とケンカしちゃってさあ」とか「今度〇〇に旅行行くの」「バイトやめるんだ」なんかじゃないか。

 ……そう考えていると自分はここ数か月ほとんどリアルの生身の人間と関わっていないのだなと思い知る。

 ここ最近は秋だからか季節の変わり目だからか、いつもは感じない「さみしさ」をいつも以上に感じてしまっている。だから心身共に少ししんどい。数か月前、五月頃にも今のようになった覚えがある。気温が安定してからおそろしいほどぱったりとネガティヴな感情もおさまってしまったけれど。

 まあ、そのさみしさだってあと数週間すれば収まることだろう。それまでの辛抱だ。

 

 以下見苦しい愚痴

 ここ最近、私の周囲の人間が遠くの手の届かない人間になっている気がしてたまらない。みんな少しずつ変わっているのだ、良い方向に向かっているなら喜ばしいことじゃないか。でも自分はあまり手放しに喜べない。みんなのツイートも少なくなっているし、話すことも減っている(そもそも、私が遠慮して声をかけなくなったせいだが)。誰かの迷惑になっていないだろうか、私なんかで本当に良いのだろうか。そんなくだらない感情ばかりが先だってチャットすら送ることが出来ない。

 まるで恋をする乙女のようだが、元々自分はこういう性格だ。人を誘うことができない。友達の友達にジェラシーを感じてしまう。成功している人間に嫉妬する。最低の人間だ。自分が落ちぶれたのは自分の努力不足のせいだということは自覚しているけれど、がんばる気力も起きない。だから同時に新しい誰かと交流したい気持ちもない。いっぱいいっぱいだからだ。

 内向的な人間だから小説を書いていると落ち着くのだろうし、今のように推敲ばかりしている時期は将来や周りや自分のことを考えて落ち込む。

 ツイッターやこういう場で思う存分書いているように見えるらしいが、結構書くことは制限しているし、言いたいこともあまり言えない。人が見ているという意識があると自制してしまうのだ。当然だ。だから、小説を書くことが好きなのだろうと思う。フィクションという盾があれば好き放題書くことができるからだ。自分の抑えている感情や、誰にも言えない秘密だって登場人物に語らせることが出来る。自分はそういう小説があまり好きではないが、読者に悟られなければいい。第一、私はプロでもなんでもないので好き放題書いても誰も何も言うことはない。

 自分のことを最低だとか生きる価値がないということは周りの人間を貶していることと同じだと誰かは言っていた。私はあまりそういうことを考えたことがなかった。きっと優しい人だからそんなことを思うのだろうな。