毒薬注意(仮)

毒にも薬にもなれない

苦手だったあの子

 そこそこ仲が良かった女の子がいて、その子とは毎週遊んでいた。近所だったし親同士も仲が良くて、親子で出かけたりもした。その子とはもう連絡をしなくなった。なんでだろう、彼女との過去をふと思い出すたび嫌悪感しかわかないからだ。

 その子の無神経な言葉にいつも私は傷つけられていたように思う。おそらく私だけではなく他の子も傷ついていた。無神経は馬鹿に近い、気が付かないことは幸せだ。非情でも平凡だったからその子の周りには人がちらほら集まっていた。学生生活において目立たないことは何より大事である。良くも悪くも目立つことはリスクが高い。

 今思うと彼女は自閉症スペクトラム的だったなあと時々考える。自称「勉強してない」子で教科書を丸覚えすることができていたようだ。自閉症スペクトラムは映像記憶に優れている人が少なくないらしいし、無神経な言葉や相手を配慮しない(できない)態度などが自閉症スペクトラムのような気がした。私は医者ではないので推測でしかないけど。

 昔、その子の友達の母親が亡くなった。その時に彼女は大笑いした。私は驚いた。心の中で「何笑ってるんだ。おかしいんじゃないのか」と思ったが言うことができず、距離を置いた。「あの子の母親らしい死に方だね」と悪びれもなく言える彼女にいらいらした。それを本人の前で言える無神経さが異常で「この子はいつか痛い目を見るに違いない」と確信した。いやこれは確信ではなく願望だ。痛い目を見てくれないと収まりがつかない、救われない。

 薄々気がついているのは、いつまでも救われることはないだろうなということで、ああいう子は無神経さを武器にして世渡りできる。結局損をするのは何も言われてないのに勝手に傷つく私のような弱い人間と、彼女の友人のような弱みが多く他者にからかわれやすい人間なのだろう。だから私のような人間は人と関わらなくなるし、彼女の友人のような人は心が傷つきすぎて鬱状態になりやすいのだろうな。

 無自覚な強者は何よりも強い。だから距離を置く、そうしなければ身体がもたないから。