毒薬注意(仮)

毒にも薬にもなれない

地方に住み続けることは孤独だ

 どうしてここには何もないのだろう、とふと思う。何もないと言えば嘘になるけど、私にとっては何もない。地下鉄も女性専用車両も109もまんだらけも何もない。トウキョウの鮮やかな髪の色の若者を見るとぎょっとする「まるで別の国の人みたいだ」

 

 そんな何もないところに住み続けている理由もないことはない。人ごみは苦手だしある程度住み慣れているし離れる理由もあまりない。あまり。

 ただ東京の人たちをテレビやネットで眺めて羨ましくなる。劣等感が募る。もしかして私が今孤独なのは地方に住んでるからなのだろうか。そうだとしたら東京で暮らすことができない私はなんて不幸なのだろう、東京の大学へ進学できるほどの裕福さがある家庭に産まれたかった。なんてくだらないことを思う。思うだけだ。

 こんな消極的でくそったれな性格だから、私はこんな時間にブログ記事なんて書いてるのだろうし、地方で消耗し続けているのだろう。この性格もこんな恵まれない家に生まれてしまったからなのだろうか? そうだとしたら人ひとりの努力なんて無駄でしかないじゃないか、はなから負け組の人間は生きる理由なんてないじゃないか。こんな劣等感を抱きながら生きるのが楽しいわけがない、苦しいだけだ。苦しみを抱えて生きることは不幸である。

 不幸なら死ぬべきか? 生きる価値がないなら死ぬべきか?

 建前では皆「no」ときっぱり答えるに違いない。しかし実際はこの国では年間三万人近くの自殺者が存在するし、弱者認定されていないニートには平気で「死ね」「生きる価値がない」と言えてしまう。ニートが弱者ではないなど誰が言い切れるのだろうか(調査によってはニートがいる家庭の世帯年収は平均より低く学歴も低い)。

 建前なんて大嘘だ。皆足手まといなんて必要としていない。わかってるんだ、わかってる。理解できるからこそ辛いし、人を避けたくなる。孤独は優しい。孤独になれば誰からも攻撃されない。人とかかわることは苦痛だ。

 東京の人を眺めて孤独に悩む癖に、人と関わることは苦痛だなんて正反対のことを考えてる。

 東京はこんな田舎とは違うのでしょ? 下品で意地悪な人以外の私に合うような人も多いのでしょ? ならば私も人並みの楽しい人間関係が築けるのではないか、都合よく思う。

 この田舎でも人と出会う努力はしてきたが相性の合う人と出会えなかった。合う人は皆ネットの住人だ。その人たちは東京に住んでいる。

 みんな東京のことを話す。行ったこともないのに東京について詳しくなった。山手線の駅名は言えるのに地元のJRについては何も知らない。地元のJRの駅名について話す人は周りにいないから覚えようがないし知らなくても生きていける。

 東京の地名も、雰囲気も、お店も知っている。知る意味などない。なのに自然と情報が入ってくるから覚えてしまう。なのに地元のことは何も知らない。情報が入らないからだ。きっと需要がないのだろう。こんな田舎の地方都市のことなんて。

「空しくないの?」と聞かれたら、空しいよと答える。空しくないわけがない。東京という仮想空間が頭の中に広がっていく、奇妙な感覚だ。実際に見てないのだから私にとって東京なんて想像と同じだ。見たことがないのだから。

 今年中に上京しようと考えてる。

 想像の街を存在する街へ変えたい。ネット上の親友をリアルのものにしたい。

 近づきたい。あのキラキラした空間に。私もあのキラキラの一部になりたい。こんな孤独で劣等感まみれの人間でも舞台装置の一部くらいにはなれるはずだ。

 

 こんなくだらないこと、いつもは考えないようにしている。できるだけ上を見て生きるように努力しているつもりだ。

 人が見ていないところじゃないと吐き出せないから書きなぐった。

 明日もがんばろう。