毒薬注意(仮)

毒にも薬にもなれない

「そんなに少子化が好きなら一生少子化のことを考えて生きていけよ」

 彼氏に言われた言葉です。

「どうして俺のことを考えてくれないんだ」といわれまして困りました。いや、多分考えてるよ? だけど一日中君のことしか考えないってそれもどうなのよ? というと彼は「俺はずっとお前のことを考えてる」……私は不安になりました。彼との将来を。もう付き合って二年なのに、こんなぐだぐだ共依存状態じゃあいけないでしょう。もっと熱中できることを見つけてほしいのです。正直人生は恋愛だけではないと思っているので、私より熱中できるものを見つけてほしい。私は彼のことを一番に考えてないけど、彼のことは大事です。一番でなければ大事じゃないなんておかしなことを言わないでよ、子供じゃないんだからさ。こんな本音をこぼしたら拗ねられそうなのでここに吐き出しています。

 なんだか私と彼は男女が逆転しているみたいです。「俺と〇〇どっちが大事なの」こんな台詞は何度も何度も聞きましたし、「寂しい」のメールや電話は沢山もらいました。しつこいですが彼のことが好きだし、嫌いになれないので付き合っています。別れるのは寂しいんです、常に一緒にいるのは鬱陶しいのですけどね。二年間以上続いていますし相性が特別悪いわけでもないんでしょう。

 恋人の関係は様々ですからね。二人が幸福ならどんな形でも構わないと思っています。

 周囲にとやかく言われる筋合いなんてありませんよね、とやかく言う周囲は結局何もしてくれませんから。

積み漫画消化「放課後保健室」の感想

 

 今日は暇だったので積み漫画を消化した。「放課後保健室」を全巻読了しました。全十巻です。

放課後保健室 (1) (プリンセスコミックス)

放課後保健室 (1) (プリンセスコミックス)

 

  世界観は少女革命ウテナに近い。ファンタジーな感じです。この漫画はだいぶ前に買ったきり読んでいなかったんです。そろそろ読まなきゃなあ…と思って読みました。

 話はとても面白いです。伏線がちりばめられていて大体の伏線は回収されます。キャラも魅力的で、私は蒼くんにきゅんきゅんしていました。キャラ一人一人が過去を抱えていて紆余曲折しながら成長していくという王道ストーリーで、キャラも多いので読んでいたら感情移入してしまうと思います。

 この話は…なんというか…カウンセリング的なストーリーでほぼ全員メンヘラです。まあ少女漫画ですから特別異常者扱いもされませんが、「あーこの人〇〇障害じゃん」と言いたくなるキャラが何人か登場します。作者さんも意識してるのかもしれませんね。

 ただ個人的にラストが微妙でした。無理やりこじつけてる気がして…風呂敷広げ過ぎちゃうとこうなるのは仕方ないんですけど…。ただラスト以外はとてもよかったので評価は高めです。

 まどかマギカなんかも風呂敷無理やり畳んだ感じでしたけどヒットしていましたし、過程が面白かったらいいんですよ。多分私は甘いんだろうなあ、まどかも「あれ回収できてないだろ! 糞ストーリーじゃないか」と友人は言ってましたし。正直そう思いますけど、過程が面白ければry

 この放課後保健室で特に良いと思ったところは台詞とストーリーのテンポの良さだと思っています。台詞は少女漫画独特のクドさがあまりなく登場人物の心の動きをうまく表現できていますし(これは台詞に限った話ではないかもw)放課後保健室独特の雰囲気も出ていて引き込まれます。ストーリーのテンポはかなり良いです。少女漫画で十巻完結だとどこかでだれてしまいがちなんですが、それがなく、読者を飽きさせません。事件が解決しても待ってくれません。また新たな誤解と事件がはじまります。こういう話なので、読む場合は一気に読むことをおすすめしますw

 まだ一度しか読んでいないのでもう一度読めばまた変わるかもしれません。

 失恋ショコラティエも読んでみようかしら…。

地方に住み続けることは孤独だ

 どうしてここには何もないのだろう、とふと思う。何もないと言えば嘘になるけど、私にとっては何もない。地下鉄も女性専用車両も109もまんだらけも何もない。トウキョウの鮮やかな髪の色の若者を見るとぎょっとする「まるで別の国の人みたいだ」

 

 そんな何もないところに住み続けている理由もないことはない。人ごみは苦手だしある程度住み慣れているし離れる理由もあまりない。あまり。

 ただ東京の人たちをテレビやネットで眺めて羨ましくなる。劣等感が募る。もしかして私が今孤独なのは地方に住んでるからなのだろうか。そうだとしたら東京で暮らすことができない私はなんて不幸なのだろう、東京の大学へ進学できるほどの裕福さがある家庭に産まれたかった。なんてくだらないことを思う。思うだけだ。

 こんな消極的でくそったれな性格だから、私はこんな時間にブログ記事なんて書いてるのだろうし、地方で消耗し続けているのだろう。この性格もこんな恵まれない家に生まれてしまったからなのだろうか? そうだとしたら人ひとりの努力なんて無駄でしかないじゃないか、はなから負け組の人間は生きる理由なんてないじゃないか。こんな劣等感を抱きながら生きるのが楽しいわけがない、苦しいだけだ。苦しみを抱えて生きることは不幸である。

 不幸なら死ぬべきか? 生きる価値がないなら死ぬべきか?

 建前では皆「no」ときっぱり答えるに違いない。しかし実際はこの国では年間三万人近くの自殺者が存在するし、弱者認定されていないニートには平気で「死ね」「生きる価値がない」と言えてしまう。ニートが弱者ではないなど誰が言い切れるのだろうか(調査によってはニートがいる家庭の世帯年収は平均より低く学歴も低い)。

 建前なんて大嘘だ。皆足手まといなんて必要としていない。わかってるんだ、わかってる。理解できるからこそ辛いし、人を避けたくなる。孤独は優しい。孤独になれば誰からも攻撃されない。人とかかわることは苦痛だ。

 東京の人を眺めて孤独に悩む癖に、人と関わることは苦痛だなんて正反対のことを考えてる。

 東京はこんな田舎とは違うのでしょ? 下品で意地悪な人以外の私に合うような人も多いのでしょ? ならば私も人並みの楽しい人間関係が築けるのではないか、都合よく思う。

 この田舎でも人と出会う努力はしてきたが相性の合う人と出会えなかった。合う人は皆ネットの住人だ。その人たちは東京に住んでいる。

 みんな東京のことを話す。行ったこともないのに東京について詳しくなった。山手線の駅名は言えるのに地元のJRについては何も知らない。地元のJRの駅名について話す人は周りにいないから覚えようがないし知らなくても生きていける。

 東京の地名も、雰囲気も、お店も知っている。知る意味などない。なのに自然と情報が入ってくるから覚えてしまう。なのに地元のことは何も知らない。情報が入らないからだ。きっと需要がないのだろう。こんな田舎の地方都市のことなんて。

「空しくないの?」と聞かれたら、空しいよと答える。空しくないわけがない。東京という仮想空間が頭の中に広がっていく、奇妙な感覚だ。実際に見てないのだから私にとって東京なんて想像と同じだ。見たことがないのだから。

 今年中に上京しようと考えてる。

 想像の街を存在する街へ変えたい。ネット上の親友をリアルのものにしたい。

 近づきたい。あのキラキラした空間に。私もあのキラキラの一部になりたい。こんな孤独で劣等感まみれの人間でも舞台装置の一部くらいにはなれるはずだ。

 

 こんなくだらないこと、いつもは考えないようにしている。できるだけ上を見て生きるように努力しているつもりだ。

 人が見ていないところじゃないと吐き出せないから書きなぐった。

 明日もがんばろう。

童貞は好きだけど童貞とは付き合いたくない乙女心

「非童貞って性病もってそう」と非童貞ネガキャンを繰り返している童貞厨ですこんにちは。

 私は童貞が大好きです!

 こういうことをネットでつぶやくと結構の割合で童貞から反応がくるんだけど…正直不細工の童貞は眼中にないのよね(´・ω・`) イケメン童貞じゃなきゃ(´・ω・`) とつぶやいたらイケメン童貞に喜ばれちゃって焦ったんだ…(顔面は確認しました)

 違うんだよ違う。私は童貞とキャッキャウフフする妄想が好きなのであって童貞くんと付き合いたいわけではいんだ。

 リアル童貞って面倒くさそうだもん…。

 そんなことを知り合いに話したら「いや、お前のはただのショタコンだろ」と突っ込まれたけどそうなのかもしれない。初恋を取り戻したいのかもしれない。

 純粋な恋愛がしたい。手を繋いで歩くだけで心がポカポカするような、キスがレモン味で赤面してしまうような綺麗な恋愛がしたい。

 大人はけがらわしいんだ! 何がセックスだふざけてる! 歳が近いフォロワーが「オフパコなう^^」とつぶやいているのを見るたびに「ああ、私も大人になったんだな」とため息をついてしまう…パコってなんだよパコって。

 中学生の頃は「性別:パコられるほう←」こういうプロフィールを書く女は大体ヤンキーだったけど最近は高学歴層のツイッタラーがパコパコつぶやいている。これはゆゆしき事態だ。大体パコって効果音は間違えてると思うんだけど、パチパチでしょあれ、でもオフパチって様にならないな…。

 ともかく、オフパコしているのは汚らわしい非童貞だけだ。童貞はオフパコなんてしないんだ。恋人にはならなくても友達でいられるだけで十分だ。童貞はピュアな心を持った魔法使いだ。忙しく生きる現代人の心を癒す存在だ。女に幻想を持ち可愛いらしい想像を膨らませている童貞君は微笑ましい。女のあそこなんて汚いだけなのにさ。

 しかし、童貞君とエッチしたら何か変わるのだろうか、いや、何も変わらないだろう。

 童貞もエッチすればただの非童貞だ。エッチを経験した童貞は性欲まみれのうんこ男と何も変わらない。もしも私が童貞とエッチしてしまったら魔法が解けてしまうだろう、結局みんなえげつなく肥大化した欲望を隠し持った狼なんだと悲しみに暮れるだろう。

 私にはショタしかいないのか。

 ショタは天使だが私のような人間は天使に触れることすら許されない。

 仕方ないことだそれが運命(さだめ)だ。

 二次元のショタで我慢しようか…。

十代の体験は呪いになり得る

 学校を卒業して何年も経っているのにいまだに部活を嫌ったり部活についてくどくど語っている人たちがいる。部活は呪いである。いや、十代の頃の体験は良いことでも悪いことでも後々の人生に影響する、のほうが正しいだろうか。

 十代の体験は重要だ。良い思い出が何年もの輝かしい美しいものになるならば悪い思い出は忘れることのできない醜く煩わしい過去になるのだろう。これはいじめや虐待などでも同じだ。よく「もう時間が経ったんだから学生の頃のことなんて忘れなよ」という人がいるが、十代の出来事は人格形成に大きく関わるし、後々何十年と背負わなければならないものなのだ。だから十代の時に酷い目に遭った人は一生をかけて忘れる努力をしなければならない、数年でどうこうできるものではない。相手のストレス耐性や体験について知ることはできないのだから他者が口を出すものではないのではないだろう。

 私は部活動に対して否定的ではない。なぜなら多くの子供が成功体験を与えられているからだ。ネットでは部活動について否定的である。理不尽なことに耐える力を培うためとか、上下関係を植え付けるために部活動が存在すると考えている人も多いようだ。その要素もあるだろうが、それだけではない。おそらく、部活動をしている子たちはそんなことを微塵も考えていない。少なくとも大多数は。

 多くの子供は三年まで部活動を続けて試合に出て 仲間と団結して……というテンプレートを辿り「良い思い出」となる。しかし「良い思い出」に昇格させられなかった人も存在する。彼らはテンプレートを辿 れないことへの苛立ちや怒りのようなネガティブな感情を抱えることになってしまう。

 ネガティブな感情を抱き続けてる者は常に苦しい思いを抱える、それは些細なことでも。

 ネット上に存在する彼らはまるで呪われたかのごとく学校について、部活について悪態をつく。その毒は無限に溢れ出すものだから何度も吐き続けるのだ。

 このような人たちを救済する方法はないのだろうかといつも思う。彼らは自覚していないが、一人で解毒することは困難だ。

 まあ、毒に冒されている自覚もないのだろうが。

 

苦手な人たち

 あ、苦手だ、この人。と感じるときがある。正確にいえばイライラしてしまってストレスになってしまう。そんな私の苦手な人々は無神経で無意識に人を見下すような人で、人の気持ちが微塵もわからないどうしようもない人だ。そういう人と遭遇したらできるだけ離れるようにしている。敵視しているのは私のほうだけだから相手は何故離れたのかすらわからない。「何でブロックしたの?」とか聞かれたりするけど、説明したって分からないだろうから口を閉ざす。

 この苦手な人たちは世の中に多く存在しない。彼らはマイノリティである。社会に適応できないし、異性にもモテることはない。そりゃあそうだ、気遣いできない人と長時間過ごしたいなんて物好きはそうそういないから。

 こんな偉そうに書いてる私だって社会に適応できていないし、どちらかといえばマイノリティだ。しかし彼らとは違う。

 無神経だがそれを理解できているし、無意識に人を見下さないように言葉を必死に選んでいるし、人の気持ちがわからないから人の感情のテンプレートを覚えて(これは幼少期に無意識でしたことだが)会話をしている。私は努力をしてるのだ。しかし彼らは何もしていない、何もせず「わからない」とほざいてる。そんな彼らに嫌悪感を抱く。自己嫌悪だと自覚もしている。おそらく人が人を苦手に思う感情のほとんどは自己嫌悪なのだろう。

 あんな風になりたかったなあ。完全にわからないことはきっと幸せなことなんだ。

人との距離、人付き合い

 距離感の取り方って難しい。

 人に嫌われたくないと思う気持ちが強いせいか人を遠ざけることが苦手で、自分がずたずたに傷ついてから離れることが多々あった。こういう人付き合いは健全ではないということを最近知り他人とうまく距離を取る方法を試行錯誤しているところだ。

 ネットでの人付き合いは特に当たり外れが激しいので取捨選択は重要なのだろう。

 昔からの友人に「そんなに深く考えなくてもいいって。友人なんていくらでも作れるし、ブロック解除すればまた付き合えるんだから。縁があればまた関係を築けるよ」とアドバイスをされて元気づけられたことがある。その時から友人の言うとおり我慢せずに深く付き合わないように心掛けていたら、自分の心のおもりがすっと軽くなったような気がした。これまで無駄な人付き合いで悩まされていたのだと改めて思い知った。

 十代のうちに上手な人付き合いを覚えられた人とはスタートラインが違うけど気づけただけでもよかったと思う。反省しないまま歳を取ってしまっていたら取り返しがつかないことになっていたかもしれない。人付き合いは一生ついて回る、避けることはできない。

 だから少しずつでも改善していくために努力する。時間がかかるだろうけど、少しずつ焦らずに改善していきたい。他人と比べてもいいことはない、私は私だ。