毒薬注意(仮)

毒にも薬にもなれない

十代の体験は呪いになり得る

 学校を卒業して何年も経っているのにいまだに部活を嫌ったり部活についてくどくど語っている人たちがいる。部活は呪いである。いや、十代の頃の体験は良いことでも悪いことでも後々の人生に影響する、のほうが正しいだろうか。

 十代の体験は重要だ。良い思い出が何年もの輝かしい美しいものになるならば悪い思い出は忘れることのできない醜く煩わしい過去になるのだろう。これはいじめや虐待などでも同じだ。よく「もう時間が経ったんだから学生の頃のことなんて忘れなよ」という人がいるが、十代の出来事は人格形成に大きく関わるし、後々何十年と背負わなければならないものなのだ。だから十代の時に酷い目に遭った人は一生をかけて忘れる努力をしなければならない、数年でどうこうできるものではない。相手のストレス耐性や体験について知ることはできないのだから他者が口を出すものではないのではないだろう。

 私は部活動に対して否定的ではない。なぜなら多くの子供が成功体験を与えられているからだ。ネットでは部活動について否定的である。理不尽なことに耐える力を培うためとか、上下関係を植え付けるために部活動が存在すると考えている人も多いようだ。その要素もあるだろうが、それだけではない。おそらく、部活動をしている子たちはそんなことを微塵も考えていない。少なくとも大多数は。

 多くの子供は三年まで部活動を続けて試合に出て 仲間と団結して……というテンプレートを辿り「良い思い出」となる。しかし「良い思い出」に昇格させられなかった人も存在する。彼らはテンプレートを辿 れないことへの苛立ちや怒りのようなネガティブな感情を抱えることになってしまう。

 ネガティブな感情を抱き続けてる者は常に苦しい思いを抱える、それは些細なことでも。

 ネット上に存在する彼らはまるで呪われたかのごとく学校について、部活について悪態をつく。その毒は無限に溢れ出すものだから何度も吐き続けるのだ。

 このような人たちを救済する方法はないのだろうかといつも思う。彼らは自覚していないが、一人で解毒することは困難だ。

 まあ、毒に冒されている自覚もないのだろうが。